ショクパンヨリフランスパン

演劇以外の日々の、備忘録

いわきのことと その4

「魔法」の振り返りが終わってない、もうすぐ二年が経つっていうのに。2017年の振り返りも途中でとまったまま。かぶりをふったら情けないポーズで固まってしまい、時間だけがどんどん先へと進んでいってる。ぼくをいわき総合高校へとよんでくれた夏菜子先生も、今年の春に別の学校へと転勤した。時間よ時間。記憶を語るための言葉をぼくはたぶんたくさんなくしてしまってるだろうけど、振り返る。

 

劇場入りしてからは、自分の中のエモが極まりすぎてことあるごとに別れるまでの時間を頭の中でカウントしていた。先生方や下級生やスタッフやが前日に仕込みを終わらせてくれていた。劇場前の広場で生徒たちが鬼ごっこをしながらアップをしている。ぼくが遠くで眺めていたら、彼女たちが気を使ってまぜてくれた。此の期に及んで気を使わせる自分。女子高生と全力で鬼ごっこをした末、見事に腰をぶっこわした。

リハーサルが始まる。劇場でみる彼女たちは稽古場のときよりもいくらかこわばっていた。声とか体が空間に満ちていない。ロロの公演のとき、ぼくがおこなう最も雑な演出の一つに「なんかここでみんなでなんか騒いでください」というものがあるので伝えてみたけれど、抽象的かつ大雑把な言葉すぎて彼女たちの身体を軽くすることはできなかった(ロロでも今後はやめなくちゃなと痛感した)。リハーサルは、ふざけたこと、ばかみたいなことを劇場に満たしていく作業だった。餌を散らばせば、彼女たちはのびのびとそれに飛びついて自由気ままに調理してくれる。ばかばかしさが少しづつ広がっていく。リハーサルは音響のノブとぼくが延々もめ続ける以外は大きなトラブルもなく進んでいった。ノブと俺はひたすらもめ続けて、夏菜子先生が傍でずっと見守ってくれていた。

 

初日。本番前はいつも緊張して一人で「おえおえ」いってるのだけれど、今回はももクロのライブ前の川上マネージャーをイメージしながら彼女たちの士気をあげようとおもっていた。おもっていただけでうまくできなかった気がする。

1ステージ目のパフォーマンスはあまりいい出来ではなかった。これまでの彼女たちにくらべてずいぶん窮屈そうにみえてしまった。終演後のフィードバック、1ステージ目を終えて達成感に満ちた表情で車座になってる彼女らにむかってそのことを告げると、みんなみるみるうちに悲しそうな顔へと変わっていく。夜の公演にむけてできる限りの修正を行って2ステージ目へ。

この日は、卒業公演の前に行われたアトリエ公演の演出を担当した危口さんと、危口さんのサポートとして携わっていたつじこさんもきてくれた。つじこさんが彼女たちに伝授してくれた発生練習には稽古期間中とても助けてもらった。危口さんとは初日夜公演のあとアフタートークをする予定だった。ぼくは危口さんに会うと「バカだと思われたくないスイッチ」が押されてしまっていつもなかなかうまく話せない。だから危口さんとはだいたいハンターハンターの話をしてた気がする。「ハンターハンター再開しましたねー」か「ハンターハンター休載しましたねー」のどちらか。ちょうど冨樫の連載ペースくらいの頻度で危口さん会っていた。最近、ハンターハンターはまた休載してしまった。

夜公演の出来はとてもよかった。炸裂ってかんじだった。振り付けで参加した桃子は泣いてた。この公演期間中桃子はやたらと泣いていた。彼女らにそのことを伝えると「なんで1ステージ目からできなかったんだろう」と悔しがっていた。そういえば、ぼくは演劇のステージごとの善し悪しの根拠がいまだによくわかってない。よかったとかわるかったとかおもうし細かい部分はその都度なおすけど、そうじゃないもっと漠然とした空気感の根元はどこにあるんだろう。言語化出来なくたっていい気もする。演劇初めてもうすぐ10年になるのにまだよくわからない。他の演出家はどうなんだろう。そもそもステージごとの善し悪しみたいな物差しをもってなかったりもするんだろうな。

危口さんとのアフタートークでは出演者に「あいさつ」をしてもらった。危口さんがお題をだして舞台上で彼女たちが短い作品を作り始める。作ってる最中に夏菜子先生を交えながらトーク。できあがったあいさつに対して危口さんのダメ出しは容赦なかった。観客席が「そこまでいう?」とひいていくのが手に取るようにわかっておもわず笑ってしまう。彼女たちはどんどん落ち込むし、それでも危口さんの言葉は一向に鈍らなかった。アフタートークを終えて、楽屋に戻ろうとしたら、舞台袖に置いてあるホワイトボードに危口さの描いてくれたぼくの似顔絵が描いてあった。ぼくの知ってる普段の危口さんのタッチに比べるとやたらとポップでかわいらしかった。

初日がおわり、公演をみにきてくれたロロメンバーも交えながら初日打ち上げ。メンバーもみんな喜んでくれていた。明日はいわきを観光するというので「石炭・化石館ほるる」をすすめた。わいわいがやがやと深夜まで。

深夜、ベロベロになっている最中にSMAP解散報道が飛び込んでくる。衝撃のあまりしばらく動けなかった。

 

二日目。つまり最終日。本当は前日に帰るはずだった桃子も最後まで見届けるべく残ってくれた。本番前の彼女たちは「さみしいさみしい」と言っていたが、確実に俺の方がさみしかった。夏菜子先生にだけそのことを伝えた。

昼公演のあとにも危口さんとのアフタートークがあった。終演後、袖にやってきた危口さんは「今の回よかったねー」ととても嬉しそうに笑顔で話しかけてくれた。たしかにとても良い回だった。そしてアフタートークで再び行われた「あいさつ」は謝罪会見を模したパフォーマンスでとてもおもしろかった。危口さんの感想は、自分の好みをうまくついてきてずるいとのこと。ぼくが素直に褒めればいいじゃないですかと笑いながらきいたら「ずるいっていうのはぼくのなかでは褒め言葉なんです」って言っていた。

アフタートークを終え、危口さんは最後の回もみたいなーと言いながら名残惜しそうに帰って行った。「ほるる」に行ったメンバーたちから写メが送るられてくる。あまり盛り上がっていない様子だった。そして、いよいよ残すところ1ステージ。「魔法」のラストは江本祐介「ライトブルー」を流しながらみんなで踊るシーンで、江本さん含めたエンジョイミュージッククラブの三人が最後の回をみに来ることになっていた。生徒のみんなには内緒にしていた。

ラストステージをみてる最中、とにかく一挙手一投足を脳に刻み付けるつもりでみていた。一瞬一瞬を焼き付けてやろうと。だけどやっぱり二年が経って、すこしづつ記憶は薄れてきている。この期間中、彼女たちとたくさんの写真を撮った。それらはiPhoneに残ってる。見返しながらいまこの文章は書いていて、写真をみている最中は鮮明だった記憶たちは、写真を閉じてキーボードを打っていくうちにどんどんぼやけていく。

カーテンコール、彼女たちがぼくを手招きして一緒に舞台上にあがる。堂々とした20人の女子高生と一緒に、挙動不審にきょろきょろしながら頭を下げたのはおぼえてる。

 

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2017年をふりかえる 上半期

2017年をふりかえる。

 

2016年の終わりと2017年の始まりを、ぼくは「タイムズスパ・レスタ」のサウナ内ですごした。毎年レスタでは大晦日限定でカウントダウンアウフグースというイベントが行われる。熱波師が108回仰ぐ中、サウナ内にぎゅうぎゅうに集まった裸の男たちと一緒に年越しを迎えるのだ。「去年は途中でギブアップしてしまったので、今年こそは最後までやりきってみせます!」と熱波師が宣言し、カウントダウンアウフグースは始まる。最初、快調に送られてきた熱波は、数を重ねるごとに徐々に力を失っていき、扇風機でいう微風くらいまで弱まっていく。それでも熱波師はフラフラになりながらも汗だくでタオルをまわし続ける。そんな姿をみていたら、次第にサウナ内に奇妙な一体感が生まれてきた。今日この場に集まった裸の男たちはどうしてサウナで年を越そうなんておもったのだろう。ぼくは、当初予定してた大晦日の予定がキャンセルになってしまいやけくそになってレスタを訪れていた。いまここにいる他の人たちも紆余曲折を経たすえにここにたどり着いたんじゃないだろか。一番の年越しをできなかった人たちが集う悲しみのカウントダウンアウフグース。だらだらと裸で汗をかき続ける男たちの背中がそんな想像に拍車をかけたんだとおもう。いよいよ仰ぎの回数がラスト10回を切る。どこからともなく「10、9、8……」と声が聞こえ始める。その声は次第に大きくなり、最終的にサウナにいる全員でカウントダウンをする。もちろんぼくも一緒に数える。「3!2!1!」熱波師を讃える拍手が巻き起こる。「あけましておめでとうございます!」こうして、ぼくの2017年は始まった。

 

2017年の最初はなんだかずっと悲しかった気がする。まずSMAP解散の寂しさをずっと引きずっていた。自分の暮らしはなにも変わらないのに、ふとした瞬間「でももうSMAPはいないんだ」という事実が頭をかすめては沈んでいく気持ち。SMAPがいなくなっても目に見える日常は何も変わらずに進んで行くことがいっそう寂しかった。小さいころ「おジャ魔女どれみ」の最終回をみながら、もうこの人たちに会うのはこれで最後なんだと無性に寂しくなったことがあったけど、そのころの気持ちを1000倍くらいにした感じ。SMAPロスに加えて会いたい人に会えなくなってしまったり、他の様々な要素が重なり、2017年の始まりは悲しみが満ちていた。あまり本を読んでも頭に入ってこず、普段は手に取らない歌集を読んだりした。短歌の余白の多さにかなり救われた。友人と短歌をつくって遊んだりした。

 

「愛しさと 心強さはあげるから せつなさだけは わたしがもらう」

 

1月には「いつ高シリーズ」新潟公演があり3月はこまばアゴラ劇場での「いつ高シリーズ」4作上演と、2017年前半はいつ高まみれだった。キャストが、作品そのものはもちろん作品の世界観までひっくるめて大事にしてくれてるのを感じて嬉しかった。いつ高はほんとに作るのが楽しい。本公演となるとなかなかそうはなれないので、こういう場所をつくっておけてよかったなあと振り返りながらおもう。この時期はいつ高と並行して、テレビドラマ「デリバリーお姉さんNEO」のシナリオも書いていた。監督の松本さんが声をかけてくれて、アシスタントのこうへいくんと3人で夜な夜な作戦会議をしていた。「デリバリーお姉さんNEO」は低予算ではあったけれど、その分好き勝手に書かせてもらえた。2017年の大きな出来事は、松本さんも所属するエンジョイミュージッククラブの3人と仲良くなったことだ。30歳目前で純粋にともだちと呼べる存在がふえた。演劇をはじめてからはどんなに仲良くなっても肩書き込みでの関係性になることが多かったので、そんなの関係なしに漫画やらテレビやら映画やらについてあーだこーだ言いあえる人たちと出会えてうれしかった。3月は、そんなエンジョイミュージッククラブとロロとそれから僕が卒業公演を担当したいわき総合高校の生徒たちとともにライブを行った。出会いがつながる瞬間は格別だった。

 

5月。井の頭公演100周年を記念して作られた瀬田なつき監督「PARKS」のスピンオフパフォーマンス「パークス・イン・ザ・パーク」を上演した。初めての野外劇だった。予約不要で完全無料なイベントだったのので、当日どれだけの観客があつまるのかとても不安だったけれど、ふたをあければ立ち見がでるほどたくさんの人が集まってくれた。普段劇場でやるときの客席の空気感ともまるで違っていて、始まる前から舞台と客席をつなぐ多幸感みたいなものが満ち満ちてる。普段は演劇をみないような人も、劇場でよく顔を見かける人も、こどもも大人も、いろんな人たちが混じり合った空間だった。この作品をつくったあたりから、場所そのものが持っている物語みたいなものへの興味が強くなってきて、それはのちの「BGM」へとつながっている。場所の具体性が持つ物語。でも演劇は具体性を舞台上に100パーセント立ち上げるのは不可能だ。演劇が立ち上げることができる井の頭公園は偽物で弱々しくて肉のそぎ落とされた骸骨みたいなかたちをしている。この公演を終えてから、ぼくは骸骨の隙間と余白のことをよく考えるようになった。

 

5月下旬になると次回作「BGM」のフィールドワークという名目で、EMCの江本さんともてスリムの3人で東北ドライブ旅行を行った。そういえばもてスリムといつのまにこんなに仲良くなったのか思い出せない。東北旅行について書いていくと膨大な分量になるので端折る。一応、道中で「BGM」の構想を固めようとなんて考えながら出発したのだけど、その目論見はまったくうまくいかず、当初予定していたのとは全く別のかたちでこの旅の思い出は「BGM」に組み込まれていった。いま振り返ってみても強く印象に残ってる光景は隙間の時間だ。場所から場所までの隙間。会話と会話の隙間。出会うまでの隙間と別れるまでの隙間。そんな瞬間ばかりが尊いものとしてぼくの記憶に刻まれている。例えば、車の運転席に江本さんがいて、助手席にはぼくがいる。後部座席でうとうとしているもてスリムにぼくが「もてスリム、寝てて大丈夫だよ」と声かけると、もてスリム「寝ません」といって身を乗り出し、江本さんとぼくの間から顔をだして3人の顔がいっしょにならぶ。こういう時間がたくさんつまった東北旅行だった。

 

6月になると森山開次さんの演出する「不思議の国のアリス」の稽古がスタート。ぼくはテキストという形でクリエーションに参加していて、普段自分で演出をやっていると他人の稽古現場をみる機会は限られてしまうからとても新鮮だった。たまに人間より天使に近いんじゃないかと錯覚するくらいホーリーな空気をまとった人と出会うことがあるのだけど、開次さんもまちがいなく天使側だった(会ったことないけど羽生結弦とかも天使なんじゃないかとおもってる)ぼくは天使側の人間によわい。天使側人間は、なにげない会話の中のちょっとした沈黙にすら色気がぎっしりつまっている。テキストでの参加というのは、物語を1から立ち上げるわけではないので言葉の扱いのバランスになやんだ。ゲネプロを観たKAAT芸術監督の白井さんからは「もっと言葉で説明していいのではないか」というようなアドバイスをもらった。ウサギをみつけたら「ウサギだ!」といったり、穴があれば「穴!?」といったりしたほうが観客が世界観に没入しやすくなるのでは?という提案だったとおもう。ぼくは最初そのことに驚いた。当初ぼくが言葉でアプローチしようとおもっていたのは、むしろ真逆で、ウサギをいかにウサギと言わないで立ち上げることができるかとか、そういうことばかり考えていたからだった。そっちのほうがより高度でかっこいいとおもっていた。だけどその後アドバイスを受けて修正したテキストのバージョンでの通しをみたら、情報としての言葉が増えた分舞台上で起こる事柄が整理され舞台がクリアになったのを実感した。これまで「状況への言葉」をひとくくりに悪だとおもってきたぼくにとってこれはなかなか大きくて、言葉のコスパというか言葉の効率というかそんなことを考えたりした。

いわきのことと その3

だいぶ間隔が空いてしまった。自分の性格的に長続きするわけないだろうとは思ってたけど、こんなにも続かないとは。

「魔法」を一緒につくったいわき総合の高校生たちは、いまはもう高校生じゃなくなった。本当は彼女たちが高校生のうちにいわきでの日々は書き終えようとおもってたのにマジで自分にはガッカリだ。自分にガッカリするのってガッカリし尽くすことがないですね。

それでもあの頃の続きを書かなくちゃと唐突におもったので、書きます。

 

「魔法」はオムニバス形式の作品なので20人全員が揃う場面はごくわずかだった。せっかくだから20人全員でつくるシーンをいれたいなーと思案してたときに、稽古後、彼女たちがiPhoneをにぎる姿が目に入ってきた。彼女たちがiPhoneをにぎる姿と魔法使いが杖をにぎる姿が重なった。

「光」というシークエンスは、彼女たちそれぞれが短いセリフを繰り返しながら、iPhoneの光を灯していく。20個のか細い光の固まりが、はるか遠くを照らせたらいいなとおもいながら作った。

稽古の後半は体育館で行われた。もう一年以上も前なのに、そのときの景色とか質感はいまだにしっかりと残ってる。(というのはきっと半分嘘で、ほんとはいろんなことを忘れてしまってるんだろうけど)

ジメジメと熱気がこもっていく体育館とか、休憩中に彼女たちがうちわで仰ぎあう姿とか、冷えピタ貼りながら笑う姿とか、僕が机を動かすのをせわしなく手伝ってくれる先生たちとか、スタッフとしてきてくれた桃子とノブと久津見くんの背中とか、体育館裏の元ゴルフ部の練習場所で一人で煙草吸ったこととか。夕暮れになると体育館の窓から青春感満載の日差しが差し込んできて、そのエモーショナルに何度もやられそうになった。いちいち青春が迫ってきて、俺こっから抜け出せなくなるんじゃないかとおもった。

 

劇場入り前日、校舎での最後の稽古が終わって一人寂しくしていると、みんなが近寄ってきてくれた。それだけでもジーンとしてるのに、まおが「またきてくださいね」なんて言ってくれるもんだから破裂するかとおもった。というか、このときまで彼女たちが自分との別れを惜しんでくれてるなんておもっていなかった。まおが言ってくれたことに対してなんて返したか思い出せない。ヘラヘラして口ごもったりしてたら最悪だ。どうか「またくるよ」って返せていてほしい。

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いわきのことと その2

滞在制作がはじまった。

 

「魔法」は短編のオムニバス形式で、滞在1日目には全体の半分の台本を書き上げて持っていった。まだ最後まで書き上がっていないのに生徒たちが「はやーい!」って驚いてたのは、アトリエ公演を演出した危口さんのあとだったからだろうな〜。台本早いなんて初めて言われた。

書いたエピソードに関してはある程度自信もあったけど、不安もあった。僕は普段は当て書きをするタイプなのだが、この日以前に彼女たちと稽古した期間は3日程度でそれぞれの人となりをまだ掴み切れていなかった。だから、あえて当て書きを一切せずに書いた。僕にとっては初めてのことだった。

配役を入れ替えて、何度も本読みをする。収穫だったのは、いつもに比べて「役」のキャラっぽさが少ない分、彼女たちのの個性がより際立ったことだ。ちょっとしたセリフの言い回しや間に、それぞれの表情が浮かんでくる。みんなの本読みを聴きながら「あ、この役ってこういうキャラクターなのかも」とたくさんの発見をさせてもらった。

 

稽古を終えて、かなこ先生に送ってもらい駅前のホテルに入る。稽古期間中は、ずっとかなこ先生が送り迎えをしてくれた。僕に気遣っていわきの話や生徒のことをたくさん話してくれた。作品を作っていく中でとても貴重な時間だった。

 

次の日も新しいエピソードの台本を渡して本読みを繰り返し、滞在三日目あたりでようやく配役を決定し、以降はガシガシ動線を決めていく。普段はもっと頭を抱えて「うー」と呻きながら作っていくのだけど、今回は即決断していくのだという自分ルールを作っていたので、かなり早いペースでシーンを組み立てた。そういえば、いま思うと意外なのだけど、稽古期間中に彼女たちと世間話のようなものをした記憶ってほとんどない。休憩時間も、彼女たちがきゃっきゃと楽しそうに話してるのを僕はパソコンいしりながら聞いているだけで、彼女たちが僕に話しかけることはなかったし、僕から話かけることもなかった。まあ、僕の場合はたんに恥ずかしくてだけど。

 

休憩中にみんなが「イヤホンガンガンゲーム」をし始めたことがあった。僕はその遊びを全然しらなかったのだけどどうやら流行っているらしい。みんながイヤホンをつけて爆音の音楽をかけながら行われる伝言ゲーム。もちろん伝えられる言葉はかき消されるので、相手の口の動きで内容を読み取らなくちゃならない。これをはたから眺めるのがとても楽しかった。言葉は間違って相手に伝わるし、間違った言葉はさらに形を変えて次の人へ届く。最終的には原型を全くとどめていない言葉が出来上がって、彼女たちは一斉に爆笑する。正しい言葉を伝えようとするけど間違って、でも間違うからこそ笑いあってるその姿に、大げさな言い方だけど僕はとても感動した。なんて美しいコミュニケーションだろうっておもった。稽古場全部に広がる笑い声の中で、いま僕が感じたこの感動を少しでも舞台にあげられたらいいなって強くおもった。

 

学校とホテルの往復のなかで、気持ちが疲弊していく時期もあった。自分の書いた「高校生」が彼女たちを縛り付けてるんじゃないかっていう不安はずっとあって、それは日に日に大きくなっていった。30歳手前の男が書いた理想の女子高生の物語になってしまったら最悪すぎる。目も当てられない。物語に登場する高校生たちが、実際の高校生とかけ離れていたとしてもいい、というか望むところだ。でも、あたかも本物であるかのようにしたくはない。だって本物は、その場で演じている彼女たちそれぞれだから。本当にはいない物語のキャラクターたちと、いまここにいる彼女たちを等しくおんなじに舞台に存在させたい。僕の言葉が彼女たちの枷にならずに、彼女たちが身軽になるための武器になるといい。そんなことをホテルでうなだれながらずっと考えていた。

いつだったか、稽古が終わってそんなことで悩みながら稽古場で横になっていると、あゆかとふうかが近寄ってきて話しかけてくれた。気を使わせてしまってるなあと反省しつつとても心が安らぐ時間だった。なんてことない話をした。髪を切ろうとおもってるからどっちか切ってくれないかなあ、とかたしかそんな話。そいえば、「魔法」の千秋楽が終わったらみんなに断髪式を行ってほしいという夢があったけど、気持ち悪いなとおもって言い出さず終わったな。

 

サウナにハマったのもこの時期だった。

カプセルホテル「キュア」に宿泊してたころ、それまでサウナなんて全然行かなかったのに毎晩通って疲れを癒してた。サウナでぼーっと過ごす時間が、頭を整理する時間にちょうど良かったのだ。

ちなみに、地元仙台にも「キュア」はあって、ここのサウナは東北唯一ロウリュが楽しめるのだけど、長くなるからサウナの話はまた今度にしよう(というか無理やりサウナの話をねじ込んだ感がある)

 

「魔法」を作ると決めたときに、20人全員でつくるシーンを絶対にいれようと思っていた。だけど、どんなものにするかはなかなか思いつかなかった。彼女たちがバラバラなまま、それでも一緒にいられるようなシーンにしたいとはおもっていたけど、具体的なアイデアはいっこうにでてこない。休憩の合間にセリフを書いては、くだらないことで笑いあうみんなの声を聞いて削除した。なにげない言葉で満たされているこの休憩時間をそのまま舞台に乗せるような、それでいてそのままじゃない彼女たちの小さな光をすくいとれるような、そんなシーンにしたい。

そして「光」を書いた。

 

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いわきのことと その1

 

江本祐介「ライトブルー」のMVが公開されたことで、現在一秒ごとにエモさがだだ漏れ状態になっているから、いまのうちに、いわきで過ごした日々を振り返ろう。

普段なるたけセンチメンタルな文章にならないようにっておもってるけど、まあ、どうしたってなるだろうな。あと僕は記憶の時系列が常に混乱しているから、いろいろ間違いもあるかも。

 

はじめて、いわきにいったのはいつだっけ。「あなたがいなかった頃の物語といなくなってからの物語」が終わった次の日か、次の次の日だっけ。

いわき総合高校を訪れた最初の日は、ちょうど帰省してたしゅんやさんも一緒だった。1人きりで女子高生20人の前に立てる気がしてなかったからすげー心強かった。演劇演習室に入ると、当たり前だけど女子高生が20人いて、それが当たり前ってことの当たり前じゃなさにクラクラした(あたりまえだのクラックラッカーと呼ぼう)

みんなも緊張してただろうけど、自分はきっとその数千倍緊張してた。

 

そして生徒たちの「あいさつ」がはじまった。

「あいさつ」っていうのは、いわ_総系列演劇生が毎回授業で行うもので、生徒たちのみで授業の最初の10分間話し合って作る短い作品のことを指す。

見ておもったまず最初の印象は、やっぱ圧倒的なキラキラ感だった。彼女たち自身のキラキラが、本人を飛び越えて空間全部をきらびやかにしてる。しかも、そのキラキラは光の輝きというより、水しぶきの一滴一滴が光を反射しているような、そんなキラキラだった。その輝きに一瞬目が眩んでしまったけれど、しっかりみると演劇でシークエンスを構成するっていうのがどういうことか肌感覚でわかってるんだろうなという作りになっていて、とても感心した。

この子たちとこれから一緒に作品作れるの、超楽しみだなあーって、このとき最初におもった。

 

それから自己紹介がてらにみんなの好きなものをきいて、タイトル作りのWSなんかもしたけど、緊張であんまり覚えていない。。。

覚えてるのは、授業のおわりに「僕はずっと高校生と作品を作ってみたくて、だから今回この機会をもらえてすごく嬉しいんだ」というようなことを伝えときの、みんなの表情。あ、みんなも楽しみにしてくれてるんだなって少し安心した。

 

夜は先生方と飲む約束をしていたのだけど、学校が終わるまで時間が空いたのでしゅんやさんにいわきを案内してもらった。

 

2人で「いわき市石炭・博物館ほるる」へ向かう。

前半が化石、後半が石炭ってつくりなってるんだけど、ほとんどの時間を化石コーナーに費やした。学芸員の方がどんな質問をしても120%で打ち返してくれるし、しゅんやさんもいちいちリアクションが素晴らしくて最高のコール&レスポンスを目の当たりにできた。入り口前の本物の化石を当てるミニコーナーだけで30分近く楽しめた。

で、閉館が近づいたので急いで石炭コーナーへ移動しようとエレベーターに乗るとそっからしゅんやさんはそれまでのイキイキした姿が嘘みたいに「こわいこわい」しか言わなくなって(たしかにエレベーターの演出はちょっとこわい)みる、というか、通り過ぎるだけで終わった。

ほるるをでても、まだしばらく時間があったので海にいった。

僕自身が小学校三年生まで海で育ったということもあって、ロロの作品ではしばしば海のシーンがでてくる。「あなたが~」の終盤でも海が登場した。

海をみながらしゅんやさんとなにを話したかも覚えてない。なにも話さなかったのかもしれない。

 

それから車で少し仮眠して、駅前の居酒屋で先生方と合流。

ここでの居酒屋での会話の詳細も書かないけど、とにかくとびきりたのしかった。先生方それぞれが、先生っていうより人としてとびきりチャーミングで魅力的だった。また先生たちと飲みたいなあ。

こうして、僕のいわき滞在1日目はおわった。

 

それから何度かWSのためにいわきへ行き、ついに、2週間での滞在稽古になる初日、かなこ先生の車に乗って校門をくぐると、三階の演習室の窓からこっちを覗き込む生徒たちの姿がみえた。

思い返すと、そういえば彼女たちはいつもあの窓から僕を出迎えてくれた。再会するとき、僕はいつも彼女たちを見上げてた。

校舎に入ると、フロアごとに生徒たちが待ち構えていて、なぞかけだったり「私を倒せ」的な無理難題をふっかけてきた。僕を迎え入れるために考えてくれたらしい。難敵たちを赤面しながらなぎ倒してなんとか頂上の演習室にたどり着くと、室内では生徒たちが歩きながらウインクキラーを行っていた。

 

「5分以内(10分だっけ?)に犯人を見つけられなければ一発芸をしてもらいます」

 

唐突に宣言されてカウントダウンが始まる。

え、まじかまじかまじか。

急激に冷や汗がとまんなくなる。

い、っぱつ、げい……。

女子高生に囲まれながらおじさんが一発芸でダダ滑りする以上の悲劇なんてあるだろうか

これは絶対に失敗はゆるされない。滑ってさらにドン引きされて信頼関係を築く以前になにもかもを失って公演も失敗してみんなにとっても「魔法」が黒歴史になる未来が見える。

一瞬でそう判断した僕は、いわき滞在期間中で1、2を争う集中力を発揮してこの難局をなんとか乗り切ってみせた。まじで「瞬きもせず彼女たちをみつめてた」

「魔法」の上演を成功させられたのは、この日ウインクキラーの犯人を見つけられたからだって、少し思ってる。

 

(つづくよ)

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長嶋有「三の隣は五号室」のことと、サウナつかさ新城のことと。

武蔵新城のアパートから12月中に出なければいけなくなったので、友人のKくんに手伝ってもらって部屋を片付ける。

 新城に住むのを決めたのは、特にたした理由があるわけじゃなくなかった。強いて言えば多摩川の河川敷が近かったから。台本が書けない時期は、夜中によく河川敷をウロウロと歩きまわった。川の側に腰掛けて、イヤホンをつけずに、音量MAXでiPhoneから音楽を流したりもした。音楽が向こう岸に溶けていく感覚が好きだった。

 片付ける前に『麺や 新のすけ』で腹ごしらえ。

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武蔵新城でもっともたくさん食ったのはここのトマトタンタン麺で間違いない。ひき肉と酸味の効いたトマトスープと麺が三位一体となって「一体、僕はいまなにを食べてるんだろう?」という唯一無二の気持ちにさせてくれる。創作ラーメンの種類がめちゃめちゃ多いんだけど、結局いつもトマトタンタン麺を頼んでしまったなぁ。ちゃんぽんも美味そうだったんだけどなぁ。

 で、部屋の片付け。捨てる&捨てる&捨てるを繰り返す。捨てるか残すか迷った瞬間に片付けられなくなる気がしたので、思考より速いスピードで捨てまくる。次第に、自分の記憶を掘り起こしてるような気分になる。テレビの側には『朝日を抱きしめてトゥナイト』を書いてた頃に読んだ本が大量に積まれているし、ベッドの横には『ロミオとジュリエットのこどもたち』の頃の苦悩のメモが投げられてる。ロロ旗揚げの頃の写真もみつかった。再演してーなー。

思い出に浸りすぎて片付けが進まない引っ越しあるあるに飲み込まれるまえに、再び捨てる&捨てる&捨てる。

 

片付けながら、長嶋有『三の隣は五号室』のことを思い出す。

三の隣は五号室

三の隣は五号室

 

 僕が物語に最も心を揺さぶられるのは、現実では繋がらない人たちが「物語の力」によって繋げられる瞬間で『三の隣は五号室』には、そんな瞬間がいくつも詰まってる。

第一藤岡荘五号室に暮らした13世帯の人々のエピソードが時系列を行きつ戻りつ語られる。登場人物たちは、あるときは外から聞こえる雨の音を通して、あるときは部屋の停電を通して、ゆるやかに繋がっていく。でも、彼/彼女らがその繋がりに気づくことはない。気付けるのは、この小説を読んでいる読者だけだ。

部屋に一人で過ごしていると、たまに猛烈な孤独感に苛まれることがあるけれど、この小説はそんな気持ちを優しくさりげなく肯定していく。

 登場人物の一人、五十嵐五郎が風邪をひいて部屋で寝込みながら雨の音を聴いてるシーンでこんな描写がある。

 トタン屋根みたいな雨音を立てるボロい家に、三十過ぎて職業も定まらぬ男が熱を出し布団の中で膝を抱えている。普段はそのほとんどを自覚していてかつ平気だのに、風邪は単純に気持ちを弱らせる。(中略)

 同時に、寂しさの鋳型にすっぽりはまってしまったみたいで、むしろ心安らぐ気もした。女の子が、継母にいじめられる想像でわんわん泣いて気持ちいいみたいなことかしら。もう一度笑いそうになってまた咳が出て、立ち上がってティッシュを使い、ティッシュボックスを枕元に据え直した。雨音にも慣れ、寂しさも消えた。本当は寂しさは消えたのではないのかもしれない。人はいつも寂しくて、普段思い出さないだけなのだ。自分はなんだか詩的なことを考えているな。

 思わず五郎に「俺もおんなじように寂しくなったことあるよ!」っていいたくなった。「その寂しさ俺もしってるよ!」って。

部屋で一人きり誰にもみられていない時間のふとした瞬間に顔をあらわす寂しさ。

いつかの僕の寂しさ(タバコに火をつけたときとか、寝ようとして電気を消した瞬間とか)は、もちろん僕だけの寂しさだけど、おんなじ場所でかつて誰かも、その人だけの寂しさをきっと抱えてた。そう思えると気持ちが少しだけ楽になる。「三の隣は五号室」を読んでいると、誰かへと想像力がどこまでも伸びていく。

それぞれの孤独が、孤独なままで連帯していくかんじがする。孤独なのに一緒。

あと、長嶋さんは、いつも固有名詞の使い方が抜群にうまいけど、今回ももちろん健在で、個人的には「第六話 ザ・テレビジョン!」のテレビ史を語りながら住人たちを繋いでいくのが最高だった。SMAPが登場するのも嬉しいし、木村拓哉って時代だったよなーって改めておもった。

 新城の部屋を片付ける最後、押入れに小説をこっそりと忍ばせた。この次に住む誰かがページをめくってくれる姿を想像してみた。読んでくれるかなあ。

 片付けを終えて、Kくんとサウナに行くことに。周辺をいろいろ調べた結果、もっともミステリアスな『サウナつかさ新城』へと向かう。

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これが大正解。

まず入った瞬間の店主の「近くに銭湯あるよ?うち高いけど大丈夫?」という言葉に鷲掴まれる。なんたる気遣い。

浴室内で流れる演歌、ウォーターサーバーの横に置かれている塩、無造作に置かれるエアロバイク、二種類の水風呂(22度くらいと、17度くらい。しかもほぼ水の流れを感じない!!)広々としたサウナ・・・。

いちいち良かった。隅々に旅情を感じる。

サウナのテレビではちょうど「M-1グランプリ」が放送されていた。漫才をみて、CMになったら水風呂へ走り、すぐさまサウナに戻ってまた漫才ってルーティンは、忙しないけどこれ以上ない至福の時間だった。さらば青春の光の森田さんの声はマジで宝物。

 M-1を見終たので、館内着に着替えて(館内着の刺繍もチャーミング)二階に上がり小休憩。さきほどの店主がヤクルトをくれた。

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飲みながらダラダラと横になる。部屋を片付けてる最中は鬱蒼としていたKくんだったが、今では目をキラキラさせながら「幸せだ~」と連呼している。サウナに入れば、誰しも問答無用でポジティブになれる。

 その後、再びサウナと水風呂を堪能して、サウナつかさを後にし、『とり岡』で鳥を食らう。

「油す」という謎のメニューがオススメらしいので頼んだけど、これがまー美味しい。

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ネギと鶏肉って間違いない組み合わせですね。串焼きも全部うまかった。

 帰り道、多幸感で死にそうになってるKくんだったが、次の日には、寂しさで死にそうになってるらしかった。

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Sくんと再会したことと。

「光の光の光の愛の光の」に出演してくれたカネコアヤノさんライブを観に下北沢へ。

ライブ会場に入る直前にSくんからメールがきてびっくり。Sくんから連絡が来るのは約一年ぶりで、ずっと音信不通だったのだ。カネコさんのライブのあとに会う約束をする。

ライブハウスでカネコさんの歌が始まるまでの間、Sくんと初めてライブに行ったときのことを思い出していた。

 

たしか、中原昌也と空間現代が対バンするライブだった。僕は音楽のことはあんまりよくわからなかったけど中原昌也の小説は大好きで、Sくんは中原昌也の小説も音楽も好きだった。ライブはとても素晴らしかった。特に空間現代に感動した。演劇に感動するように、空間現代の鳴らす音に感動した。そういう感動は初めてだった。
ライブが終わって、外に出て、Sくんにひたすらその気持ちを伝えた。「全部わかった!」って連呼してた気がする。Sくんとは、その流れでコンタクト・ゴンゾとかチェルフィッチュの話をした。

 

カネコさんのライブが始まった。
カネコさんは歌うとき、別々のものを一緒に抱えながら歌ってる。子どもと大人とか、男の子と女の子とか、天使と悪魔とか。2つのものが混じり合わずに別々のまま、一緒に存在しているような歌声だった。
何度も、歌の合間でくるりと反転し客席に背を向ける。そして、再び歌うときに正面を向く。表情がみえる。その表情はさっきとたぶん変わってない。子どもと大人が一緒にいる表情だ。
後ろを向いているときは、どんな表情をしていたんだろう。

 

ライブ会場をでて、Sくんと再会する。近所に住んでるKくんも合流する。一年前は、暇さえあれば(暇がなくても)3人でよく集まってた。
串カツ田中に移動する。
ここにSくんと来るのは初めてだ。Kくんとは最近よく訪れる。この一年の間にオープンした店だった。

Sくんは、髪が伸びた以外はなんにも変わってなくて、昨日会ったみたいに話せた。話しながら脱線し続けて、脱線の飛躍を楽しみ続けた。変わったことといえば、ポケモンGOにハマってたことと、ラジオっ子になってたくらい。SくんとKくんと、3人で話すのは全然懐かしくなくて、それが嬉しかった。

 

EMCに混ぜてもらった「100%未来」の歌詞を書くとき、僕が思い出していたのはSくんとKくんだった。

soundcloud.com

ポップカルチャーとの思い出は、2人との思い出だった。だから、どうしてもSくんに聴いてもらいたくて、無理やり聴かせようとしたら「今は聴けない」って言われてしまった。

 

それから数日、僕はEMCの3人と、あとロロメンバー桃子の5人で高速道路を走っていた。ある企画のために朝からいわきに行っていて、その帰り道だった。道中、やっぱり話したのはポップカルチャーのこと。「この世界の片隅に」をいかにネタバレせずに絶賛するかとか、あと、くだんない話もたくさん。好きな数字とか、「あったかい気持ちになるもの」って縛りでしりとりとか(さらにどんどん温度をあげて、最終的に熱いもの縛りのしりとりにするとか)。

そんな中、Sくんからメールがくる。森高千里のラジオで「100%未来」が紹介されてるとのこと。EMCも僕も、誰もそんなこと知らず、盛り上がる車中。森高千里の口から「三浦直之」という単語が溢れたなんて。しかもSMAPの話題からEMCの話題にという流れらしく、さらに胸熱。
さすがラジオっ子になったSくんだ。
Sくんはこんなメールもくれた。

 

「すごいよかったよ曲も詞も、またネットで流れたら聴く笑」

 

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