ショクパンヨリフランスパン

演劇以外の日々の、備忘録

2017年をふりかえる 上半期

2017年をふりかえる。

 

2016年の終わりと2017年の始まりを、ぼくは「タイムズスパ・レスタ」のサウナ内ですごした。毎年レスタでは大晦日限定でカウントダウンアウフグースというイベントが行われる。熱波師が108回仰ぐ中、サウナ内にぎゅうぎゅうに集まった裸の男たちと一緒に年越しを迎えるのだ。「去年は途中でギブアップしてしまったので、今年こそは最後までやりきってみせます!」と熱波師が宣言し、カウントダウンアウフグースは始まる。最初、快調に送られてきた熱波は、数を重ねるごとに徐々に力を失っていき、扇風機でいう微風くらいまで弱まっていく。それでも熱波師はフラフラになりながらも汗だくでタオルをまわし続ける。そんな姿をみていたら、次第にサウナ内に奇妙な一体感が生まれてきた。今日この場に集まった裸の男たちはどうしてサウナで年を越そうなんておもったのだろう。ぼくは、当初予定してた大晦日の予定がキャンセルになってしまいやけくそになってレスタを訪れていた。いまここにいる他の人たちも紆余曲折を経たすえにここにたどり着いたんじゃないだろか。一番の年越しをできなかった人たちが集う悲しみのカウントダウンアウフグース。だらだらと裸で汗をかき続ける男たちの背中がそんな想像に拍車をかけたんだとおもう。いよいよ仰ぎの回数がラスト10回を切る。どこからともなく「10、9、8……」と声が聞こえ始める。その声は次第に大きくなり、最終的にサウナにいる全員でカウントダウンをする。もちろんぼくも一緒に数える。「3!2!1!」熱波師を讃える拍手が巻き起こる。「あけましておめでとうございます!」こうして、ぼくの2017年は始まった。

 

2017年の最初はなんだかずっと悲しかった気がする。まずSMAP解散の寂しさをずっと引きずっていた。自分の暮らしはなにも変わらないのに、ふとした瞬間「でももうSMAPはいないんだ」という事実が頭をかすめては沈んでいく気持ち。SMAPがいなくなっても目に見える日常は何も変わらずに進んで行くことがいっそう寂しかった。小さいころ「おジャ魔女どれみ」の最終回をみながら、もうこの人たちに会うのはこれで最後なんだと無性に寂しくなったことがあったけど、そのころの気持ちを1000倍くらいにした感じ。SMAPロスに加えて会いたい人に会えなくなってしまったり、他の様々な要素が重なり、2017年の始まりは悲しみが満ちていた。あまり本を読んでも頭に入ってこず、普段は手に取らない歌集を読んだりした。短歌の余白の多さにかなり救われた。友人と短歌をつくって遊んだりした。

 

「愛しさと 心強さはあげるから せつなさだけは わたしがもらう」

 

1月には「いつ高シリーズ」新潟公演があり3月はこまばアゴラ劇場での「いつ高シリーズ」4作上演と、2017年前半はいつ高まみれだった。キャストが、作品そのものはもちろん作品の世界観までひっくるめて大事にしてくれてるのを感じて嬉しかった。いつ高はほんとに作るのが楽しい。本公演となるとなかなかそうはなれないので、こういう場所をつくっておけてよかったなあと振り返りながらおもう。この時期はいつ高と並行して、テレビドラマ「デリバリーお姉さんNEO」のシナリオも書いていた。監督の松本さんが声をかけてくれて、アシスタントのこうへいくんと3人で夜な夜な作戦会議をしていた。「デリバリーお姉さんNEO」は低予算ではあったけれど、その分好き勝手に書かせてもらえた。2017年の大きな出来事は、松本さんも所属するエンジョイミュージッククラブの3人と仲良くなったことだ。30歳目前で純粋にともだちと呼べる存在がふえた。演劇をはじめてからはどんなに仲良くなっても肩書き込みでの関係性になることが多かったので、そんなの関係なしに漫画やらテレビやら映画やらについてあーだこーだ言いあえる人たちと出会えてうれしかった。3月は、そんなエンジョイミュージッククラブとロロとそれから僕が卒業公演を担当したいわき総合高校の生徒たちとともにライブを行った。出会いがつながる瞬間は格別だった。

 

5月。井の頭公演100周年を記念して作られた瀬田なつき監督「PARKS」のスピンオフパフォーマンス「パークス・イン・ザ・パーク」を上演した。初めての野外劇だった。予約不要で完全無料なイベントだったのので、当日どれだけの観客があつまるのかとても不安だったけれど、ふたをあければ立ち見がでるほどたくさんの人が集まってくれた。普段劇場でやるときの客席の空気感ともまるで違っていて、始まる前から舞台と客席をつなぐ多幸感みたいなものが満ち満ちてる。普段は演劇をみないような人も、劇場でよく顔を見かける人も、こどもも大人も、いろんな人たちが混じり合った空間だった。この作品をつくったあたりから、場所そのものが持っている物語みたいなものへの興味が強くなってきて、それはのちの「BGM」へとつながっている。場所の具体性が持つ物語。でも演劇は具体性を舞台上に100パーセント立ち上げるのは不可能だ。演劇が立ち上げることができる井の頭公園は偽物で弱々しくて肉のそぎ落とされた骸骨みたいなかたちをしている。この公演を終えてから、ぼくは骸骨の隙間と余白のことをよく考えるようになった。

 

5月下旬になると次回作「BGM」のフィールドワークという名目で、EMCの江本さんともてスリムの3人で東北ドライブ旅行を行った。そういえばもてスリムといつのまにこんなに仲良くなったのか思い出せない。東北旅行について書いていくと膨大な分量になるので端折る。一応、道中で「BGM」の構想を固めようとなんて考えながら出発したのだけど、その目論見はまったくうまくいかず、当初予定していたのとは全く別のかたちでこの旅の思い出は「BGM」に組み込まれていった。いま振り返ってみても強く印象に残ってる光景は隙間の時間だ。場所から場所までの隙間。会話と会話の隙間。出会うまでの隙間と別れるまでの隙間。そんな瞬間ばかりが尊いものとしてぼくの記憶に刻まれている。例えば、車の運転席に江本さんがいて、助手席にはぼくがいる。後部座席でうとうとしているもてスリムにぼくが「もてスリム、寝てて大丈夫だよ」と声かけると、もてスリム「寝ません」といって身を乗り出し、江本さんとぼくの間から顔をだして3人の顔がいっしょにならぶ。こういう時間がたくさんつまった東北旅行だった。

 

6月になると森山開次さんの演出する「不思議の国のアリス」の稽古がスタート。ぼくはテキストという形でクリエーションに参加していて、普段自分で演出をやっていると他人の稽古現場をみる機会は限られてしまうからとても新鮮だった。たまに人間より天使に近いんじゃないかと錯覚するくらいホーリーな空気をまとった人と出会うことがあるのだけど、開次さんもまちがいなく天使側だった(会ったことないけど羽生結弦とかも天使なんじゃないかとおもってる)ぼくは天使側の人間によわい。天使側人間は、なにげない会話の中のちょっとした沈黙にすら色気がぎっしりつまっている。テキストでの参加というのは、物語を1から立ち上げるわけではないので言葉の扱いのバランスになやんだ。ゲネプロを観たKAAT芸術監督の白井さんからは「もっと言葉で説明していいのではないか」というようなアドバイスをもらった。ウサギをみつけたら「ウサギだ!」といったり、穴があれば「穴!?」といったりしたほうが観客が世界観に没入しやすくなるのでは?という提案だったとおもう。ぼくは最初そのことに驚いた。当初ぼくが言葉でアプローチしようとおもっていたのは、むしろ真逆で、ウサギをいかにウサギと言わないで立ち上げることができるかとか、そういうことばかり考えていたからだった。そっちのほうがより高度でかっこいいとおもっていた。だけどその後アドバイスを受けて修正したテキストのバージョンでの通しをみたら、情報としての言葉が増えた分舞台上で起こる事柄が整理され舞台がクリアになったのを実感した。これまで「状況への言葉」をひとくくりに悪だとおもってきたぼくにとってこれはなかなか大きくて、言葉のコスパというか言葉の効率というかそんなことを考えたりした。